インタビュー

「縁」を結ぶ。日越ビジネスマッチングを日本で

「縁」を結ぶ。日越ビジネスマッチングを日本で

子どもの頃から家の中で日本語を聞きながら育ったマイ・ホアイ・ジャン(Mai Hoai Giang)さん。母親と日本人教師の会話を聞きながら、自然と日本で暮らす人生を選びました。今年4月、東京・八丁堀に、日本とベトナムのビジネスをマッチングする会員制スペース「duyen」をオープン。「実は、ビジネス以外にもこの場所を使おうと思って」と語るジャンさんに、duyenの中でお話を伺いました。

「上品なベトナム」をプロデュースしたくて

「縁」を結ぶ。日越ビジネスマッチングを日本で

――きれいなスペースですね

銀座界隈でシクロ(ベトナムの自転車タクシー)を走らせる観光イベントの会社「RAROMA」を2017年に立ち上げたんです。31歳の時でした。その事務所としてここを使っていました。だから、元々は普通の事務所だったのを改装して、おしゃれな空間にしました。

――普通の事務所のままではだめだったんですか

「上品なベトナム」をプロデュースしたかったんです。日本人には、シクロって、どんなイメージがありますか? 荷物を運んだり、人を乗せて移動する手段として、という感じでしょう? 実は、昔は生活が豊かでないと使えない乗り物だったんです。お嬢さん、お坊ちゃんじゃないと乗れない、という時代があったんです。

――シクロは庶民の足、だとばかり思っていました

多くの日本人がそう思っているのでしょうね。そのシクロを使って、ベトナムのイメージをもっともっと上級社会に近づけるようにするためにどうしたらいいか、RAROMAを運営しながら考えるようになったんです。エルメスやルイ・ヴィトンの広告にシクロを使ってもらうとか、故郷の美しい景色を紹介する道具に使ってもらえるようになったらいいな、と。

「縁」を結ぶ。日越ビジネスマッチングを日本で

ビジネスマッチングの会員制スペース作る

――「duyen」の構想が生まれたきっかけは

日本に来るベトナム人が増え、ベトナムに興味ある日本人も増えました。日本で働くベトナム人から「日本の商慣行を教えてほしい」「日本でセールスをしたい」と頼まれたり、日本のビジネスマンから「ベトナムで仕事をやりたいんだけど」と相談されたりすることが増えたんです。

彼らのために何かできないか、と思って日越の友人、知人に2018年末に相談したら、ベトナムをプロデュースする場所にオフィスを変えてみようかというアイデアが浮かびました。ビジネスの情報収集をしたり、いろんな相談事のできる場所にしたり、ベトナムに進出したい人の話を聞けるような場所にしようと、すぐにコンセプトができあがりました。

――自己資金でオフィスを改装したんですか

クラウドファンディングを利用しました。当初は100万円を集めようと思ったんですが、手元に残ったのは最終的にその半分くらい。そこから改装費を捻出しました。クラウドファンディングに参加していただいた企業と個人(6社、13人)はそのまま会員として、「duyen」を活用していただけます。少しずつ会員は増えていますが、もっと増やしたいですね。

――duyenとは

ベトナム語で「縁」という意味です。いろんな人をつなげたいし、会員の皆さんにはいいご縁を結んでほしい、と思っています。

「縁」を結ぶ。日越ビジネスマッチングを日本で

母親の影響で日本語学ぶ

――日本に興味を持った理由は

私の母は日本語教師で、いまも故郷のフエで学校を開き、生徒に教えています。私が5歳くらいのとき、祖父が日本人を家に連れてきたことが縁で、母は日本語を勉強し始めました。ところが、母は病気で足が不自由だったので、学校にはなかなか行けなかったんです。だから、母はフエ外語大に合格したのに、通学することはできませんでした。

合格後、クラス担当だった日本人の先生が家に来ました。「合格したのに、なぜ大学に来ないのですか」ということで不審に思い、母に会おうと家までやってきました。母は正直になぜ通学できないのか話したそうです。

すると、その先生は「では、家で日本語を勉強しましょう。私が教えます」と、授業の前に家まで来てくれて、毎日1時間、母に日本語を教えてくれた。私にしてみると、毎日、日本語の会話の中で目覚めるような感じでした。

――素晴らしい日本人の先生がいたわけですね

そうです。でも、歩けない母は働きに出ることも難しく、家でセーターを作って売り、生活の足しにしていたようです。でも、母の日本語はとても上手だったので評判でした。

自宅で教え始めて、最初は生徒1人、2人だったのが、次第に増えていきました。気付いたら、1クラスになり、そのうち2クラスになり、週3回だったのが、毎日朝昼晩になり、大勢の生徒が来るようになったわけです。私塾が大きくなった感じですが、いまもフエで日本語を教えています。

ベトナム外交大学を中退

「縁」を結ぶ。ビジネスマッチングを日本で

――お母さんの影響でジャンさんも日本と日本語に興味を持ったわけですね

ええ。母の教え子は最初、ホテルのスタッフや、日本人と結婚することになった地元のベトナム人が多かったんですが、最近は子どもが多い。duyenを手伝ってくれる若者たちの中にも、母の教え子が何人かいます。母に「あいうえお」から日本語を教わったんです。

――来日の前後は、どうなさっていたんですか

フエの高校を卒業した後は、ベトナム外交大学に入学しました。早く日本に行きたかったので、ベトナム外交大学は1年で中退し、2004年9月に立命館アジア太平洋大学(APU)に留学し、アジア太平洋学部で国際関係学を4年間学びました。2008年8月に卒業し、ユニクロなどで働いた後、RAROMAをスタートしました。

ベトナム外交大学は1年だけ。一般教養だけでしたけどね。そうそう、ミス・ベトナム外交大コンテストに出て、準優勝しました。「私でいいのか?」と思いましたけど、素直に賞をいただきました。その時は外交官になろうと思っていたので、社交ダンスのクラブに入り、みっちり練習しました。そんな学生生活でした。

――日本のキャンパスライフはいかがでしたか。

APUは素晴らしい環境でした。授業や学内の生活についての説明を先輩たちが英語でしてくれたので、日本語に慣れていなかった私にはとても助かりました。ほかにも、通帳や印鑑の作り方、買い物の仕方、クリニックの場所や行き方などなど、何から何まで大学がフォローしてくれました。外国人の受け入れとしては完璧で、理想的なモデルだと思います。

私は国費留学生でしたので、学費は100%免除でしたし、生活費も4年間分もらっていました。

外国人労働者問題「仕組みに問題」

――日本で暮らす外国人の技能実習生や留学生らをめぐる問題を、日本にいらしてどう思いますか

トラブルが起きてしまう日本の「仕組み」に問題があると思います。ベトナム人にしても、ベトナム国内で「日本で働きたい」と希望している人たちは、言われた通りに動かざるを得ない。どれだけ大変な仕事なのかとか、労働時間と給与水準の関係とか、留学生のバイト制限(週28時間)とか、自分の権利とか、知らないでやってくる人がとても多い。知らないというより、知らされていないんです。

――受け入れ機関や就労先が全面的に悪いのでしょうか

就労先である受け入れ企業も、被害者でしょう。人不足の業界は、働き手を確保するためにはそれなりの経費を使わなければいけないはずです。受け入れ機関の中には悪質なところもあるようですし、企業の経費がどんどん抜かれることもあるようです。

なので、外国人が安心して働くために、まともな受け入れ機関と就労先を紹介できるような「仕組み」が絶対に必要です。そうしなければ、いずれ日本は外国人に無視される国になってしまうかもしれません。

日本で起業するベトナム人と、ベトナムでビジネスを進めたい日本人を取り持つ会員制スペース「duyen」は、東京・日本橋のビル街の中にある。週末には、ベトナム語や水墨画の教室、婚活イベントなども開かれる。会員のいろんな思いを取り込んだ空間の中心にいるのが、社長のジャンさん。Facebookはこちら。(https://www.facebook.com/vietnamcommunityspace/)

ABOUT ME
野島 康祐
野島康祐 のじまやすひろ 毎日新聞記者 1997年9月から1年間、ハノイ国家大学に留学。大学で堅苦しいベトナム語を、市場と飲み屋で生きたベトナム語を学ぶ。年に2、3度、ベトナムを再訪してビアホイをあおり、時間を忘れる。
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