初めての就職の地に日本を選び、研修生として3年間岐阜で働き、帰国後は日系企業で働き続けているランさん。慣れない異国の地で、仕事をしながら日本語学習のモチベーションを維持できた理由は何だったのでしょうか。3年間の研修生生活を振り返りながら、日本への思いを語っていただきました。
初就職。研修生として日本へ。
未知の日本へ。社長との出会い
――行く先に選んだ日本について、どんなイメージを持っていましたか?
最初は、日本については全然知りませんでした。元々は、専門学校を卒業後に家の手伝いをしていましたが、兄1人弟3人の5人兄弟で家計が厳しくて仕事を探していました。
たまたま研修生(注)として日本へ行ったことのある知り合いに紹介され、研修生として日本へ行くことを考え始めました。
行く前には、知り合いや友達など日本へ行ったことのあるいろいろな人に聞いて情報を集めました。
彼らの多くは、日本はきれいで日本人は親切だと教えてくれました。日本についてはそこから得た情報しか知りませんでしたが、いい国だと思いました。
※研修生
当時は、外国人研修・技能実習制度(以降、「研修制度」と呼ぶ)では、1年目は研修生(座学及び実務研修)、2~3年目は技能実習生(雇用関係の下での実習、在留資格は「特定活動」)として働く仕組みだった。しかし、一部の受入れ機関が研修生・技能実習生を低賃金労働者として扱うなどの問題が生じ、制度が見直された。
――研修生として日本に行くことについて、不安はありませんでしたか?
私は若かったので不安はそんなになかったのですが、はじめは、両親は反対していました。
初めて働く場所が日本という異国の地。
娘を初めて遠くに出すのが外国ということで心配だったのだと思います。でも私の勤務先では、本当にいい人たちに恵まれていました。
ベトナムで研修生の面接を受けた時、実習先の社長に初めて会いました。
面接に合格した後、その社長が私の実家を訪ねてくれました。そこで、両親と社長を交えて日本での生活や仕事のことなどいろいろな話をしてくれましたので、家族も私自身も安心しました。その後も社長はベトナムに遊びに来た時には必ず両親を訪ねてくださいました。
――日本へ行く前に大変だったことはありますか?
日本語が大変でした。
いい社長に出会えたのでがんばって日本語を勉強しなければという気持ちいっぱいでした。日本でただ3年間働くだけではなく、日本語をちゃんと勉強してベトナムに戻り、日系企業で働こうという目標もありました。
日本に行く前から、社長とはよくメールでやり取りもしており、初めは、私がベトナム語でメールを送り、日本にいる先輩が社長に通訳してくれました。
「おはようございます」から始まり、毎週、新しく勉強したことばを使って社長にメールをして、勉強の経過報告をしていました。最初は勉強してもなかなか覚えられず苦労したこともありましたが、
社長の応援もあって日本語の勉強を続け、N5程度で日本へ行きました。
日本での仕事と生活
――日本来た時の印象はどうでしたか?
景色がきれいで、交通機関も整っているというのが第一印象です。中でも桜の景色は本当にきれいでしたね。
――日本での生活はどうでしたか?
私は先輩たち2人と一緒に住んでいたのですが、先輩たちは数か月後には任期満了で帰国してしまい、1人になってしまいました。その頃は料理もあまりできませんでしたので、どうしようかと困りました。(笑)
社長が私を心配して、当時アルバイトとして工場で働いていた中国人留学生と一緒に寮に住むよう勧めてくれました。日本に来たばかりの中国人とベトナム人が日本で共同生活する。共通言語は日本語でした。ですので強制的に日本語を勉強しなければならない環境におかれましたね。(笑)
共同生活を送る中国人留学生は日本語も上手く、いつも私に日本語を教えてくれました。その留学生はスーパーでアルバイトをしており、アルバイト後には、割引商品の魚を持って帰ってきてくれたり、餃子を一緒に作ってくれたりして仲良くなりました。社長も時々寮に遊びに来て、みんなでご飯を食べました。
1年ちょっとしてから後輩が入ってきたので中国人留学生は引っ越していきましたが、私もその頃には随分日本語ができるようになっていました。
――仕事はどうでしたか?
プラスチックの部品製造工場で働きましたが、私にとっては初めての仕事だったので、大変に感じることもありました。ただ作業は難しくはないので、そんなに苦になることはありませんでした。
会社の日本人はとてもいい人たちでした。
分からないことや困ったことがあったら手伝ってくれるし、日本語の難しい細かい作業のところは、まず日本人がやって見せてくれて、覚えるという感じで慣れていきました。工場では担当の社員がいつもついて見てくれていて、何か問題があったらすぐ飛んで来てくれました。
私の職場は岐阜県のなかでも田舎の方で、だからなのかはわかりませんが、会社や近所の人が、家でとれた野菜や果物くれたりとか、本当に優しかった。
――日々のスケジュールはどんな感じでしたか?
朝起きて、朝ご飯昼ご飯を作って出勤。残業は毎日2-3時間くらい、夜7時~9時ごろまでには帰宅していました。家で晩御飯を食べて、洗濯して、夜10時30分から1時間くらい勉強する、というのが流れでした。
休みの日は、電車で遊びに出るのも遠かったので、近所で買い物をしたり、料理の準備をしたり、またはゆっくり寝たり、勉強したりでしたね。
よく社長や奥さんが遊びに連れて行ってくれたり、会社のみなさんと旅行もしました。たまに社長さんがお小遣いを出してくれて名古屋や東京に遊びに行ったこともありました。
中でもいちばん印象に残っているのは、各国の人が集まる日本のお祭りで、同僚たちとベトナムの民族服のアオザイの試着会を開催したことです。当時、岐阜にはベトナム人が少なかったので、とても盛りあがりました。
――日本語はどのように勉強していたんですか?
日本語の勉強は、基本的に会社で日本人とたくさん話をして、寮にいるときはテレビをつけっぱなしにして、見て聞いて覚えていきました。
仕事や自宅だけでなく、外国人が集まって日本語を勉強する場所もありました。1週間に1回の日本語学校があり、仕事の途中であっても授業を優先するよう社長が許可してくれ、学校の時間を守らないと逆に怒られました。
ベトナムに帰ったら日系企業で働きたいという目標があったので、日本語の勉強もしっかりと頑張ることができました。
研修生として日本で3年間過ごしてみて
――3年間を振り返ってどうでしたか?
1年目は、私自身生まれて初めて家族と離れて暮らしたので、よく家族を思い出して国に帰りたくなりました。仕事中にも泣いてしまうことがありました。家族にはテレビ電話で週に1回くらい連絡していたんですが、両親も寂しがっていました。
ただ、社長が出張でベトナムに行くたびに、私の実家に寄って給料と日本での私たちの様子を撮影したビデオを両親に渡してくれていました。それで生活の様子もよくわかって、両親も安心したのかそんなに心配しなくなりました。
2年目にはだんだん仕事にも生活にも慣れてきたので、日本語の勉強に集中しました。ベトナムへの帰りたさは減りました。
3年目は、ベトナムに帰れる嬉しさと、日本を離れる寂しさがありました。帰りたくないとさえ思うこともありました。とても複雑な気持ちです。ベトナムに帰る日には、もし機会があれば、もう一度日本で働きたいと思いました。
日本人と働くこと
――帰国後は目標通り日系企業でずっと働かれていますね。
勉強の成果もあり、帰国時にはN2くらいになりました。ベトナムに帰ってからはあまり日本語を使わないので少し忘れてしまいましたが。(笑)
研修先の社長が紹介してくださった日系工業団地にある企業の工場で、生産管理として働きました。その後、結婚と出産を経て日系の不動産会社、旅行会社などで働き、現在は日本留学や日本就職をサポートする会社で働いています。日本人と一緒に働くことが好きで、かれこれ10年以上日本人と働いていることになります。
――日本人と働かれている経験が長いですが、何か感じることはありますか?
ベトナム人と日本人では、まず考え方が違いますね。
旅行会社で働いていた時は、はじめてベトナムに来た日本人と働くこともありました。はじめはお互いの考え方や仕事の進め方が同じではないので、分からないことがあったらお互いに確認して進めていくことが大事です。
長年日本人と働く中で、段々そのやり方や考え方がわかるようになってきました。
日本語が分からない時は大変でしたが、日本人と係る中で、日本人の考え方や仕事の進め方がわかるようになってきたので、今では問題なく一緒に働くことができています。
これから日本で働く人へ
まずは日本語を頑張って、日本の生活や遊びなどを色々体験して感じてみてください。日本でしか体験できないことも多いので、勉強できることは全部吸収してきてほしいなと思います。
私は実際に日本へ行ってみて、いい意味で、もともと聞いていた日本とは全然違いました。自分で直接見て、体験したことの方がイメージよりもはるかに良いものだったんです。
私は日本が好きなので、日本へ行く事をみなさんにおすすめします。あるとき息子が「お母さんみたいに日本語を勉強したい」と言ってくれたことがあり、それを聞いたときは嬉しかったですね。
帰国してからもう10年以上経ちますが、今でも日本のことをよく思い出します。研修先の社長とは、今でも連絡をとりあっています。いつか家族でもう一度、日本へ行けたらと思っています。
――インタビューメモ――
ランさんは、研修生の中でも理想的な方だと思いました。ランさんが研修したように、研修生や家族に理解のある日本の受け入れ機関もあるし、良くも悪くも関わった人の印象によって、その国の印象が変わってしまうのではないかと感じました。
異国で働くには、周囲の人のサポートを受けつつも、言語面での努力が必要不可欠なようです。ランさんは、帰国後に日本企業で働くという明確な目標があったからこそ、ハードスケジュールの中でも勉強を続けられたのだと思います。実習生として仕事をしながら勉強を続けるのは簡単な事ではありません。だからこそ、この社長のように、日本語学習やモチベーション維持の面でも、周囲の理解やサポートが重要になるのではないでしょうか。
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