インタビュー

技能実習生経験を、日本語教師として活かしたい

技能実習生経験を、日本語教師として活かしたい

技能実習生として、日本に向かったディエップさん、フーンさん。現在は日本語教師として活躍するお二人に、日本での経験やこれからのビジョンを伺いました。

日本人の働き方を学びに

――日本に行くまでの経緯を教えてください

フーン:大学 在学中から、いつかは世界に旅行に行きたいと思っていました。もちろんそ  の中に日本がありました。

私は、幼少期から日本のアニメが好きで、日本語が大好きでした。私の大学の生徒はみんな、英語がもともと話せる状態でしたが、私の周りの友人はさらに新しい言語の習得に励んでいました。そんな影響もあり、大学卒業後もホーチミンの日本語センターで2年間勉強をすることを決めました。

その時はただ日本語を勉強したいだけで、日本で働きたいという気持ちはなかったと思います。わざわざ1日2時間の授業のため、毎日バスで片道2時間をかけて日本語センターまで通学していました。

クチ(ホーチミン市から車で約2時間)にある実家からの通学途中、バスで知り合った元技能実習生が「日本に働きに行きたいかどうか」を突然尋ねてきて、送り出し機関を紹介してくれました。彼は、日本で実習を終えた後も日本語学校で日本語を学んでいました。

私は、当時友人に憧れて日本語学校に通っていましたが、日本語を使ってどんなことがしたいのか将来の想像ができていませんでした。働くという選択肢を考えていくうちに、徐々に「自分の目で日本を見てみたい」そんな気持ちが高まってきました。そして、自分が今まで学習してきた日本語を活用できる仕事をしたいと思いました。翌日、送り出し機関まで行き、手続きも自分でしました。

ディエップ:私の兄は日系企業で働いていて、兄が就職する前から、日本の制度や働き方、思考法について聞いていました。働き方というのは、仕事に対して情熱を注いで懸命に働くこと、また時間や規則がしっかりと守られていること、5S(注:日本の製造業などで使われる、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の頭文字をとった言葉をはじめとする、整理整頓の心得について聞いていました。その魅力に圧倒され、高校卒業後にベトナムにある日系企業に勤めることになりました。

兄の話通り、日系企業で働いてみるとベトナム人と日本人の働き方の圧倒的な差を感じました。ベトナム人は、基本自分からやり方を聞かないかぎり指導してくれない傾向があります。失敗すると叱られるので、できる限り自分で考えて作業をしなければなりません。一方、日本企業では従業員に対して丁寧に作業の工程を教えてくれる印象があります。そして理解ができた後に作業を開始させます。そうすることで、ミスを減らし効率良く作業できるので、私は日本企業での働き方が好きでした。

最初はベトナムにある電気自動車会社で1年半働いていました。その会社の電気製品が並んでいるところを見た時、こんなに素晴らしい製品はベトナムでは作れないと肌で感じたのです。その時、自分がまだ見ていない日本の最新技術で作られた製品をもっと見て確かめたいと日本に行きたい思いが固まっていきました。

当時働いていた企業の仕事は朝の6時から14時まで。家計が厳しいため大学に入れなかった私は、働きながら午後の時間を使って、中級専門学校(注:高校卒業後に1-2年の課程で、職業教育を行う学校)の計算学部に入り、勉強していました。そして、中級専門学校を無事2年で卒業し、残りの2年間は、近所にある日本語センターで日本語を勉強する毎日でした。そこで日本語を学習し、自分で送り出し機関に頼んで、日本の実習先を見つけました。

――日本で働いてみると、想像と違いはありましたか?

 ディエップ:ありました。本当は日本での実体験を学びたかったんです。実体験というのは、働いているその現場で日本人は「どうやって働くのか」、また、問題が起こった時に「なにを考えて行動しているか」ということを身近で勉強したかったです。

しかし、私の職場はベトナム人ばかりで、日本人と働くことはできませんでした。あまり日本人と関わる機会がなかったので、その姿を見て学ぶことはできませんでした。

1年間インターネット禁止、門限22時の外出制限は「まるで刑務所」

――実習生として働いてみて驚いたことはありますか?

ディエップ:はい。会社の規則の多さに驚きました。その中でも、会社から、1年間インターネットを使わないでくださいと指示を受けたことがいちばん驚いたことです。1年間インターネットを使えないということは、仕事が終わった後、自宅で家族、友人に連絡することさえ許されない環境です。電話が必要な場合は、組合側からテレフォンカードを購入して、公衆電話から電話していました。

 フーン:私は3年間携帯を使うなと言われ、それと同時に持っていた携帯も全員没収されました。もちろん日本に行く前には聞かされていなかったので、本当にショックでした。

――インターネットを禁止するというのは、いったいどうしてでしょうか

フーン:ベトナム人技能実習生の中で、企業の待遇や、給料等の会社状況を共有し、もし、自社で待遇が思っていたものと違った場合、別の会社に逃げる場合があって、それを防ぐことが主な目的だと思っています。

私の会社のベトナム人は、みんなその厳しい規則に耐えきれず、半年後には携帯会社に新しい携帯の契約をして、日本人の管理人に見られないように新しい携帯を使用していましたね。

ディエップ:私は1年間、携帯を買わずに我慢していました。携帯を没収されなかったので、ベトナムからもってきた携帯でコンビニに毎晩向かって、Free-Wifiで家族に連絡をしていました。たとえ、雪が降る日でも、大雨でも、必ず毎日コンビニに向かっていました。とにかく最後まで耐えましたが、私にとってこの1年間は本当に大変でした。

――他に規則はありましたか

フーン:私たちは、6人が一緒に住むシェア式の寮だったのですが、外で友人の家に遊びに行ってはいけないルールがありました。その寮でさえも、他の部屋には行ってはならないというルールにされていました。また、休日は、スーパーや買い物以外の外出は禁止、必ず誰かに目的地を伝えなければ外に出られないというような状況でした。なのでほとんどの時間を家で過ごしていました。

ディエップ:私は、10時以降は外にでてはいけないというルールですね。

 フーン:そのような状況の場合、利点もあると思いますが、欠点が出てくると思うのです。日本企業からは、日本語を勉強しなさいと毎日のように指示されますが、平日はベトナム人と同じ環境下で働き、外で日本語に関する新しい知識を勉強することもできない。さらに私たちには、勉強する機会や時間さえも与えられることはありませんでした。じゃあ私たちはどうやって勉強していければいいのだろうという気持ちになりました。まるで刑務所のような気持ちで我慢できませんでした。さらに、自転車も支給してもらえなかったので、どんなに遠くても歩いて買い物に行っていました。

――制限がとても多い環境でしたね。辛かったのではないでしょうか

フーン:はい。会社側からは、帰国する費用は全額自分でだすように指示され、また組合側からはこの会社で我慢して働いてくださいとそれだけ言われました。当時は本当に苦しくて、国に帰りたいと思いました。しかし、支えてくれる家族が待っていると考えて、最後まで諦めず働くことができました。

日本語教師として

――帰国後の現在はどんなことをされていらっしゃいますか?

フーン:日本から帰国後はすぐに、いくつかベトナムにある日系企業で働いていました。そしてなんとか、もう少し多くの日本語に触れていたいと思ったんです。そこで日本語教師という道を選択しました。

ディエップ:私は、家庭の事情で帰ってからなにもしなかったんです。1年半くらいですかね。その後、インターネットで調べて、日本語教師の仕事をはじめました。

――なぜ、日本語教師を選ばれたのですか?

ディエップ:技能実習生になった目的は、お金を稼ぐためだけじゃなくて、日本語を学ぶためでした。技能実習をしていた時、夫の管理人から通訳士として日本に来てほしいといわれました。私は本当にそこで通訳士になりたいと思っていました。夫婦で日本に住むことが夢でしたが、夫が急病で他界し、子供の世話や家事に忙しく、結局は通訳の夢を諦めました。

日本の企業でなくても、ベトナムの企業で日本語通訳になりたいという希望がありましたが、日本語検定N3しかもっていなかった私は、実力不足のため通訳になることはできませんでした。

帰国後は日本語検定試験の勉強をして合格し、何度か日本での仕事をしたいと思い、多くの企業に応募しました。ただ、自分の技能実習生としての経験をこれからの若者に伝えることができる日本語教師の仕事が、一番自分にあった職種ではないかと感じるようになりました。

――日本語教師の仕事を通じて、どんなことを伝えたいと思いましたか

ディエップ:生徒に、日本語を教えたいことがまず一番にあります。私には技能実習生の経験や、日本に行った経験がありますから、そのこともありのまま生徒に伝えたいと思いました。生徒も技能実習生として日本に行くので、これから日本に向かう実習生に対して、今まで自分が体験した経験を伝えたいと思いました。

――日本語教師としての今後のビジョンを教えてください

フーン:教師として、もっと多くの人たちに面白く、またわかりやすい日本語を伝えられるようになりたいです。闊達なコミュニケーションを生み出せるようになりたいです。

まだまだで苦戦はしていますが、これから頑張って働いてもっといい授業ができるように努力していきたいと思います。        

ディエップ:私は日本語をもっとうまくなりたいです。自分が経験してきたことをもっとみんなに教えて、次に技能実習生となる生徒を支えていきたいです。そのためにはまずは一生懸命働きます。

今後は、実習先のおかしな規則を守って、周りにも相談できないような状況は変えていくべきだと感じます。夫と日本の多くの場所を旅行したので、日本には良い思い出があります。もう一度チャンスがあれば日本にいきたいです。

日本にもう一度行くことができれば、縛られた生活とは違った生活で過ごしてみたいです。多分これから先もっと変化が起こって働きやすくなる時代がくると思います。

――ありがとうございました。

 

―編集後記―

帰国後も、日本語教師として活躍する2人は、とても輝いて見えました。2人の先生の熱意がベトナムで日本語を学ぶ若者に届きますように願ってやみません。

一方、必ずしも二人は、実習生としていい経験ばかりをしていません。実習先の厳格すぎるルールなど、よりベトナムの若者が日本に来やすいよう、環境を変えていく必要性を感じました。

ABOUT ME
渡邊 春
旅行で行ったベトナムがきっかけで東南アジアの魅力を知る。 7ヶ月ホーチミン経営大学にて留学するほど、ベトナムに虜。 好きなベトナム料理は、ブンチャージオ(春巻きが乗ったまぜそば)。
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