インタビュー

朝7時から夜10時勤務、月間休日1日、時給400円。それでもまた日本に行きたい

朝7時から夜10時勤務、月間休日1日、時給400円。それでもまた日本に行きたい

高校卒業後すぐに技能実習生として日本に行ったTo Nhi Nho(トーニーニョー)さん。

朝7時から夜10時勤務、月間休日1日、時給400円。月収は6万円程度。助けを求めても何もしてくれない監理団体。(注1)

しかし、そんな環境にいた彼女は再び日本を目指しています。その理由を伺いました。

きっかけは親戚のすすめ。日本のイメージがよかった

――日本に行こうと思ったきっかけを教えてください。

実家は農業をやっているのですが、私は女子なので農業を継ぐのは難しいと思っていました。ちょうど叔母が技能実習生の送り出し機関で働いており、技能実習生制度について教えてくれました。

日本人は優しくてまじめというイメージがあり、高校卒業後、技能実習生として日本に行くことを決めました。送り出し機関へ支払う金額は100万円(うち保証金20万円)で、費用は両親が用意してくれました。

日本に行く前に8カ月間、日本語センターで日本語の勉強をしましたが、日常会話が何とかできるレベルまでしか到達しなかったため、日本語を使って仕事ができるのかとても心配でした。

ベトナムに帰りたい。毎日辛くて泣きました

朝7時から夜10時勤務、月間休日1日、時給400円。それでもまた日本に行きたい

――日本での仕事はどのようなものでしたか。

日本での仕事は本当に大変でした。監理団体の対応も悪く、ひたすら「ベトナムに帰りたい」と思っていました。

実習先は岐阜県にある小さな縫製工場だったのですが、まず1か月目の研修期間では、7時から22時までほぼ休むことなく働き勉強をしました。

7時から9時までが縫製の仕事、9時から16時半までが日本語や日本の習慣についての勉強、そして17時にはまた職場に戻り、22時まで仕事です。

研修期間が終わる2か月目以降からは、その勉強時間も全て仕事に当てられます。7時から22時までが勤務時間で、休憩は昼の45分と15時の15分、夕食時の30分だけ。

土日もほぼ稼働していたので、1か月の休みたった1日だけでした。技能実習に行く前には時給700から800円と聞いていましたが、実際の時給は400円でした。1か月間、朝から晩まで働いても手取りは6万円程度です。

そんな生活が一年続きました。聞いていたことと違う驚きと怒りで、毎日辛くて泣いていました。

同時期に入った実習生3人が社長に直談判しましたが取り合ってもらえず、「1年間よく仕事をしたら時給を500から600円に上げる」と言われましたが、結局時給は上がりませんでした。監理団体に相談しても聞く耳持たずでした。両親にも相談しましたが、私たちも何もしてあげることができないので、がんばってと励ましてくれるだけでした。

1年目はひたすら国に帰りたくて仕方ありませんでした。

――職場はどのような雰囲気でしたか。

家族経営の小さな会社だったので従業員も少なかったです。

一緒に働くのは女性ばかりで、3人だけいる日本人は仕事の指示や分からないことがあれば手伝って教えてくれるいい人たちでしたが、そこまで仲良くなることはありませんでした。

同じ作業をしている日本人の給料は私たちと違ったと思います。彼女たちも私たちの待遇について知っていたかもしれませんが、助けを求めることができる関係ではありませんでした。社長も身の回りの世話はしてくれましたが、給料に関しては話を取り合ってもらえませんでした。

同僚の実習生には先に来ていた中国人が何名かいて、彼らと話すうちに中国語を覚えました。中国人は休憩もなく働き、同じように給料に不満を持っていましたが、実習期間を終えると全員国に帰っていきました。その後はベトナム人だけになりました。

日本語教師の助けで入国管理局に告発、一転して待遇改善

――その状況について、相談できる人はいましたか。

いませんでした。こんな生活ですから、日本語を勉強する時間もないので、日本語も上達しませんし、日本の友達をつくる暇も余裕もありませんでした。

誰にも相談できず困っていたところ、他の技能実習生の知り合いの日本語の先生が相談に乗ってくれることになりました。

そこでその先生が、会社の給料や労働時間のことを監理団体や入国管理局に報告してくれて、監理団体を変えてもらえることになりました。本当は監理団体を変えてもらえたタイミングで会社も変わりたかったのですが、社長は許可をしませんでした。

結局、もとの監理団体は潰れてしまったようです。私たちに手を差しのべてくれた先生には本当に感謝をしています。

――その後、仕事の待遇は改善しましたか。

会社は同じでしたが、2年目以降はまわりの働きかけもあり給与は時給800円に昇給し、労働時間も8時~17時と1か月20~30時間の残業に改善されました。

前の監理団体の職員は一度も職場に来ませんでしたが、新しい職員は月に1回、様子を見に来てくれるようになりました。

――日本で思い出に残っていることはありますか?

2年目からは休みの日も増えたので、他の会社で働くベトナム人の実習生の友達と名古屋に遊びに行ったり、公園に行ったり、買い物をしたりしました。

帰国直前には、日本での生活にも慣れ、仕事の状況も改善して楽しく働けるようになっていたので、日本から離れたくないという気持ちになりました。

今度は日本に留学して東京で遊びたい

――日本語はどれくらい上達しましたか。

あまり日本語を勉強しなかったので、日本語力は全然です。仕事で使う言葉ならわかりますが、他はわかりません。ですから次は、日本へ留学したいと考えています。

ただ、技能実習で日本に行ったので、ベトナムに帰国後1年以上は、日本での経験を活かせるような仕事に就く必要があります。好きでもない縫製工場での仕事をベトナムでも続けなければならないのが苦しいです。

――今の気持ちを教えてください。

帰国してまだ3か月ですが、すぐにでも日本に戻りたい気持ちです。

技能実習生として3年の勤務が終わり、ベトナムに戻った時は嬉しかったです。でも帰国して3か月が経ち、仕事を探し始めたのですがまだ見つかっていません。

高校を卒業してすぐ日本へ行ったので、特別なスキルは持っていません。縫製工場でも特別なスキルを身につけたわけでもなく、日本語もできません。正直、就職が難しいんですよ。本当はベトナムで自分の好きな服を扱う仕事をしたいんですけどね。

技能実習生の同期は、今ベトナムで日本語教師をしていますが、家族もいるから日本に戻るつもりはないみたいです。

――なぜ留学をしたいのですか?

とにかくもう一度日本に行きたい。まだ東京に行ったことがないんです。だから東京に行って遊びたい!(笑)

――特定技能という新しい制度は知っていますか。

知らないです。また技能実習生として行けるんですか。それなら行きたいです。

 

―― インタビューメモ――

朝7時から夜10時勤務、月間休日1日、時給400円。それでもまた日本に行きたい

いきなりの訪問にも関わらず、地元を案内してくれたNhoさん。

日本語力の問題で彼女の想いの全てを聞くことはできなかったかもしれません。

日本語ができないと相談できる人もいないし、誰かに助けを求めることもできない。

Nhoさんたちは、幸い助けを求められる日本人が見つかって待遇も改善しましたが、もしそのまま誰にも相談できない状況が続いたら、と考えると恐ろしいです。

実習先は地方であることも多く、たいてい狭いコミュニティの中で3年間生活しなければなりません。その環境を自分でかえることも今の制度的には難しいでしょう。そんな中でも、また日本に行きたいと思うベトナム人が多い。

この取材でベトナムの各地に行きましたが、地方へ行けば行くほどまだインフラが整っていないところが多く、仕事といえばほぼ農業か小売りしかないし稼ぎも少ない。まして大卒者でも職探しが困難になっている状況で、地方からハノイやホーチミンのような都会にでてきて職を探すことはさらに大変なのだろうと想像しました。

日本の地方にも通ずるところはありますが、それでも仕事があり、ベトナムよりずっと良い給料がもらえることが多い。

私は1年間、日本と変わらなく快適な暮らしができるホーチミンに住み、取材をしてきました。なぜベトナム人が大変な思いをしてまで日本へ行きたいのか、どこかピンとこない部分があったのですが、今回の取材でその気持ちがなんとなくわかるようになりました。

都会のハノイやホーチミンの人は技能実習で日本を目指すことはありませんが、地方に住む人にとっては、まだ日本には希望があるのです。

注1:監理団体(組合)とは

技能実習制度において監理事業を行う団体で、主に事業協同組合や商工会、農協や漁協等が主務大臣の許可を得て、技能実習生を受け入れ、傘下の企業等で技能実習を実施します。監理団体は、送り出し国の送り出し機関と契約し、受入企業と技能実習生の雇用契約を支援、実習計画の策定や各種申請を行い、受入企業の指導や支援を行います。

ABOUT ME
鈴木萌
鈴木萌
すずきもえ・ライター | 旅行と空芯菜炒めをこよなく愛す。ベトナム好きが高じて大学在学中にOne Terraceベトナムで1年間インターン。復学した現在も、ベトナムを中心に、日本と関わりながら働く外国人のリアルを取材しています。