インタビュー

ベトナムの若者に日本でのチャンスを作りたい

ベトナムの若者に日本でのチャンスを作りたい

ベトナムの若者に日本でのチャンスを作りたい

「実習生が私のような経験をしないように」日常的ないじめ、長時間労働、低賃金。辛い技能実習生としての経験を乗り越えて活躍するVan(バン)さんに、これまでの経験と将来の展望を伺いました。

――日本に行こうとおもった経緯を教えてください

きっかけは、父親の他界と母親の闘病が重なり、家計を助けるためでした。

私は両親と姉、妹の5人家族でした。高校在学中、父が癌で他界し、母は脳卒中になってしまい、姉は看病でずっと母につきっきりでした。妹はまだ幼く、家族に働き手がいないため、徐々に家計が厳しくなっていきました。

私が高校を卒業した時、地方に住む知り合いが「日本で一度働いてお金を稼いだら?」と声をかけてくださったんです。私は高校を卒業したばかりだったので、日本にいくつもりは全くありませんでしたが、家族の中で働き手は私しかいません。

家計を助けたい、日本語を勉強して、将来は良い仕事に就くんだ」という思いと、「日本に行ったら人生が変わるかもしれない」と自分に言い聞かせ、技能実習生として日本に行くことを決めました。

技能実習生の送り出し機関に登録して日本に行くのではなく、経済的に苦労している若者を日本に技能実習生として送るという制度を利用したので、費用は学費も含めて800ドルくらいしかかかりませんでした。

――技能実習生として日本に行くまでの流れについて教えてください

私が参加したのは、9か月のプログラムでした。この制度では、日本語テストと実技テストに合格しないと日本に行くことができません。まず、最初の半年はベトナムにある日本語学校で日本語を勉強し、N5からN4レベルを目指します。

残りの3ヶ月で、縫製の実技の勉強をしました。最後に、合格率が3分の1の最終試験に合格すると無事採用になります。

――日本で働くと決まったとき、どんな気持ちでしたか

ここからがスタートだと思いました。

喜びが半分と同時に、どんな実習先に行くかもわからなかったので、大きな不安を感じました。

――事前に日本での仕事について情報を得ることができましたか?

当時はインターネットがあまり普及しておらず、良い悪いに関わらずなかなか情報を得ることはできませんでした。実習先はどんなところなのか、給与は一体いくらもらえるのか、どんな人がいて、どんな環境なのかも全くわかりませんでした。日本に行くと決まったからには、どんなことがあっても仕方がないと覚悟しました。

いじめ、低賃金、長時間労働を乗り越えて

ベトナムの若者に日本でのチャンスを作りたい――実習先の環境はどうでしたか

実習先は明るい雰囲気でした。日本人も含めて、仲良く助け合うことを基本に仕事をしていました。

しかし、かげで日本人がベトナム人をいじめることも日常的でした。最初に私が縫製の仕事についた時、担当事務の日本人に強い圧力をかけられることがありました。「仕事ができなかったらベトナムに帰国させるよ」と脅されたり、私一人だけ広い部屋を掃除するように指示されることもありました。いじめに耐えられず、職場から逃げるメンバーもいました。

私は、家族のためにと思い、我慢して辛いいじめも乗り越えていきました。

次に担当した管理の仕事では、朝の8時から夜の9時まで働き、お昼休憩で1時間、小休憩は朝の9時からの15分間だけでした。あとはずっと立ち続けなければいけない重労働でした。

管理の仕事という責任感もあり、ミスをすると大きな声で叱られるので最後まで必死に集中して働きました。悔しかったですが、現実的に、日本語も話せずどうすることもできなくて…助けてくれる人もいませんでした。

――当時、組合は実習生のために動いてくれましたか

いいえ、実習生のために動くことはありませんでした。大きい問題があった時は、会社に連絡して解決しているだけだったと思います。組合の担当者が職場に来るのは、半年に一回。資格更新の実技試験を受けさせるためだけに来ていました。

それ以外で来ることはなく、私たちの間に入って助けてくれることはありませんでした。最後に全員を集め、「最後まで職場から逃げることなく、しっかりベトナムに帰国してください。」

と伝えられたくらいです。

――日本で働いて、苦しかったことはどんなことでしたか?

会社があったのが管理が行き届きにくい田舎だったので、たくさん問題が発生しました。ひとつは、低賃金です。時給は、当時基本給より500円ほど低いたったの300円でした。稼いだお金からは、毎月保険や家賃を含め7万円をひかれていたので、全員残業しないと月に4万円しか稼げない状態でした。

――残業はどれくらいありましたか

月200時間働きました。2ヶ月連続残業の時期、当時の出勤時間は朝の8時から夜の3時まででした。その時はみんな若かったので我慢をしていました。田舎だったので、調査機関も労働時間を見ていないようでした。

誰も勤務時間に文句をいうこともできない状況でした。睡眠も十分にとれない生活が続き、同期の中には仕事中に3、4人が倒れ病院に搬送されたこともありました。給料が低いにも関わらず7万円は家賃としてひかれ続けました。その分我慢して残業分を稼ぐしかお金を増やす方法はありませんでした。

――周りの様子はどうでしたか

みんな本当に心配していました。私も本当に不安になりました。倒れた中に友人もいたので、今まで以上に体調管理に気をつけないといけないと感じました。

その時は、日本の社会はそういうものだと自分で理解するように気持ちをもっていき「悪いことだけではない。そこで学べることはある、勉強になる」と考えを転換して耐えていきました。

――この重労働がおかしいと抗議した人はいましたか

はい。当時時給が1年目は300円で、そこから年数が上がるにつれて、50円ずつ上がっていくだけでした。初めての海外でお金のことについてよく理解がなかった私は時給が安いことすら理解していませんでした。技能実習の先輩方から時給が安すぎるという話を聞いて初めて気づいたくらいです。

「海外に行ったら家族を助けられる」

日本に行ったら、たくさんのお金を稼ぐことができるだろうとそれだけを考えていたので、給料の細かいことを深く考えなかったんです。

その頃、7人の先輩が低賃金問題に耐えられず職場から逃げて行きました。そこで残り3人の先輩が日本人の知り合いに協力を求め裁判を起こしました。最後まで諦めずに抗議を行った結果、裁判で勝利し、会社側から一人100万円ほどの賠償金が支払われました。

裁判で訴えたことをきっかけに、3年目にしてようやく給料が基本給まで上がりました。しかし、引き続き7万円をひかれるのはかわらなかったです。

――それまでの給料は受け取れなかったのですか

はい。1年目、2年目の給料分は無視されました。会社が自動的に配ったので何も言えなかったです。この会社の仕事はやりたくないと思い、3年目で技能実習終了と同時にベトナムに帰国しました。

実習生同士で話すときも、インターネットがないので誰も情報を見つけられないし、助けを求めることもできない状況でみんな我慢していました。

実習生管理を経て、日本語教育の道へ

――帰国後はどう過ごされていましたか

専門学校で2年半学んだあと看護専門の大学に行きました。卒業後は、ベトナムにある日系会社で事務関係・貿易関係の仕事を経験しました。そのころ日本人の主人と知り合って結婚し、4年間日本に住みました。

――日本での4年間はどんなご経験をされましたか

実習生管理の仕事をしていました。日本で、仕事を探すことになった時、私は真っ先に実習生管理の仕事が頭に浮かびました。自分と同じような経験を後輩のベトナム人にしてほしくなかったからです。

内容としては、初めて日本に来る実習生に1ヶ月間、日本の法律・安全など、日本の生活に関する知識を通訳して実習生に説明をしていました。また、実習生が会社に配属されたあとに問題が起こった時に対応しました。組合に実習生の情報を報告して、時には泊まりの出張で関西地方を飛び回り、何人もの実習生の管理をしていました。

職種ごとに異なる専門用語を通訳し、資格試験勉強の通訳も経験しました。

――自身の実習生経験を活かして、仕事で心がけていたことはありますか

私は、実習生の時にいじめや、給料などとても苦労しました。自分にされたことを忘れずに、実習生の悩みをききながら励ましていくよう心がけました。実習生が私のような経験をしないように、また彼らを助けたいという一心で仕事を続けました。

――ベトナム帰国後、現在は何をされていますか

現在、日本語学校を経営し、ベトナム人に日本語をはじめ、日本の良さを伝えています。今では生徒も増え続け、朝から晩まで毎日楽しく授業を行なっています。

――日本語学校を経営する上で目標はありますか。

日本人とベトナム人を繋ぐのは、これからの若者たちだと考えています。そのたくさんの若者にチャンスを作ってあげたいと思っています。日本人とベトナム人が理解しあい、友情を築く未来であってほしいと願います。自分の実習時代で受けた辛い思いをしてほしくない。私ができる限りの力を尽くしたいと考えています。

日本語を学ぶ生徒はみな可愛いんです。クリスマスなどのイベントの時は、Facebookで日本の学生さんも呼びかけて、ベトナム人、日本人みんな一緒になって交流会を開いています。私の日本語学校の授業料は高くありません。しかし、それでいいんです。

それ以上にみんなが日本について興味をもち、もっと好きになってはばたいてくれることが本当に嬉しいです。私の日本語学校から、最近、二人のエンジニアが生まれました。本当に嬉しいことです。難しいかもしれませんが、今後日本語学校を増やしたいという夢を主人と話しています。

ベトナムの若者に日本でのチャンスを作りたい

*編集後記

経済苦の中、右も左もわからないまま飛び出した国で出会うさまざまな苦難と葛藤。その経験を経て、現在日本語学校を開き、未来の若者に希望を与えようとしているバンさん。

同じ実習生だった経験があるからこそ、苦しみや辛さが手に取るようにわかるのだという。今、日本語学校で活躍するバンさんの瞳は輝いていた。

インターネットで情報があふれている今、何が間違っていて、何が正しいのか。今だからこそ、もう一度見直し、受け入れる側と受け入れられる側に工夫することができるはずだと考える。共に誤解を無くし、良き理解者を増やし、より働きやすい環境がこれからも増えていくべきだと感じた。

ABOUT ME
渡邊 春
渡邊 春
旅行で行ったベトナムがきっかけで東南アジアの魅力を知る。 7ヶ月ホーチミン経営大学にて留学するほど、ベトナムに虜。 好きなベトナム料理は、ブンチャージオ(春巻きが乗ったまぜそば)。
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