インタビュー

見た目も中身もキラキラ。中国人女性の描く日本でのキャリア

見た目も中身もキラキラ。中国人女性の描く日本でのキャリア

近年、中国企業のエリート層の給与は日本企業を超え、高い給与を求めて日本企業に就職していたのは今と昔。一昔前の「出稼ぎ」のような人材イメージは完全になくなりつつあります。一方、依然として「それでも日本で働きたい」と言うチャイナエリートの存在を見過ごすことはできない。

彼らは一体、日本企業に何を求めているのか。「ゆとり世代」の筆者が同世代の日本で働くチャイナエリートたちを取材しました。

都内の大学院修士課程を修了、MBA(Master of Business Administration、経営学修士)を取得後、不動産企業にて勤務しながら、博士課程にて各国の女性の働き方の研究をする馬思琦(マ・シキ)さん。

中国東北部の有名大学、吉林大学を卒業後、建設系の国営企業に就職。国営企業と言えば、日本の大企業や官庁と同じく、厳しい競争を勝ち抜いた者だけが入れる狭き門。彼女は何を感じ日本への留学を決意したのかをうかがいました。

国営企業からコンビニのアルバイトへ。それでも自分の可能性を広げたかった

――国営企業といえば中国ではエリートという印象ですが、実際のお仕事はどのようなものでしたか

建設系の国営企業に就職しました。中国ではとても人気のある企業で倍率もとても高いです。入社すれば一生安泰という企業です。やっていたのは事務系の仕事で、証明書や許可証の更新や、社員評価、検査項目の追加、申込書の受理や見本の確認などです。

はっきりいうと暇でした。そして自分の将来が見えていることに対しての不安がありました。そのままにいると、自分の40代、50代の様子が見えているような感じでしたので。

私は若いうちにもっともっと未知の広い世界を見て、自分の実力も試してみたかった。だから、会社を辞めて日本へ留学しようと思いました。

――国営企業を辞めることに対して、周囲から反対はありましたか

当然、猛反対されました。でも、一回しかない自分の人生を決めるのは自分だと思いましたから。

――どうして、留学先に日本を選んだのですか

アルバイトをしながら留学できるということと、母がもともと日本に住んでいたからです。

学費は自分でアルバイトをして支払うことを約束し、当時は母と一緒に千葉に住み、六本木にある日本語学校に通うことにしていました。

――アルバイトは何をされましたか

まずはコンビニです。でも、その当時の私は全く日本語が分からなかったんです。だから、面接には通訳として母親に同行してもらったのですが、面接の際に店長からある条件を出されました。

――条件ですか?

はい。そのコンビニで採用時に使われている従業員用マニュアルのDVDがあるんです。全部で7時間。通常、日本人向けに作られているものなので内容は全て日本語です。店長には「きっとあなたの場合、理解するのに恐らく最低5回は見る必要があるかと思いますが、全て見た上で、母の協力なしで自分の言葉で内容を要約し、レポートで提出して、3日後にもう一度面接に来てください」といわれました。

――日本人の私でも気が滅入りそうです

実はその時、意欲が評価されて他のアルバイトのお誘いが来ていたんです。一つは、私鉄のバックオフィスでCADを使って、地下鉄図面整理の仕事で、もう一つは免税店での中国人観光客相手の販売の仕事です。

――なるほど。日本語が出来なくてもできるお仕事ですね。それで、最終的に選んだのは

3つともやってみることに決めました。他2つでは時給は良くても日本語の練習にはならないので、コンビニのアルバイトもやりたかった。

例の課題は、何度も何度もDVDを見ながら辞書を使って要約し、3日間、ほどんど寝ていない状態で、約束通り面接に行きました。すると店長からは「君が本当にまた面接に来ると思わなかった」と言われました。(笑)

――なんだか、ひどい。(笑)けれど、そのコンビニに採用されたのですね

はい、ですが、やっぱり日本語ができなかったので、最初は接客につかせてもらえず、駐車場やトイレ掃除を担当しました。そんなこと実家でもやったことがなかったのに、しんどかったですよ。(笑)

――日本語学校の生活はいかがでしたか。また、進路について聞かせてください

日本語学校の1年生のときは、アルバイトと勉強に追われました。日本語学校のクラスメートは、高校を卒業してすぐの人たちばかりでした。自分は社会人経験があるうえに年上なので時間がないと感じ少し焦りました。

そこで、進路について考え、留学して約一年経った頃に、建築会社で事務のアルバイトを始めて、その会社は社員全員が日本人だったので、日本語能力はかなり成長しました。しかも皆優しい人ばかりでした。他にもタイミングよくモデルの仕事につくことができ、そこで日本人の知り合いが一気に増えました。

実は、免税店のお店でそのまま就職してもいいですよと言われましたが、それでは自分の日本語能力も高められず、また、母が博士号まで取得しているので、高い学歴を得ることへの憧れもあり、経営学の大学院(MBA)に進学することにしました。

――日本語学習はいかがでしたか

大学院を受験する頃に日本語能力試験(JLPT)N2、大学院1年次が終了する頃にN1を取得しました。N2を取るまでは座学が中心で、N1を取得する頃には、ある程度日本語が話せるようになり、日本人の知り合いも増えました。おしゃべりする中で勉強することができたので、精神的にはN2を取る方が大変でした。(笑)

順風満帆な大学院生活に訪れた「就職活動」という難関

――大学院生活はいかがでしたか

修士(MBA)の最初の頃は、授業の内容が十分の一くらいしか分からなかったんですよ。だから一日12時間以上勉強することは普通でした。それでも、最終的に同級生の中で3人しかもらえない優秀賞をいただくことができました。そこで、自分自身にとても自信がついて、もっと頑張れるんじゃないかと思ったんです。また、通っていた大学院は社会人の方がほとんどで、かなり人脈が広がりました。そこで、色々な交流会やイベントに呼んでいただくことが増えて、どんどん知り合いの輪が広がりました。ただ博士入学試験の時に課題で出された英文翻訳が本当につらかったです。どちらも私にとっては外国語ですから。

――大学院でそれだけ人脈が広がれば、就職活動をしなくても就職できたのでは

はい。いくつかお声掛けいただきました。でも、それに甘えてしまい知り合いの会社に入ると相手に借りができて、自分のアイディアが言いにくくなったり、仕事がやりづらくなる面もあるじゃないですか。それに、全然知らないところで自分の実力をゼロから試してみたいというのもありまして。

――日本の就職活動準備についてお聞かせください

日本の就職活動は中国と全然違っていて、初めはやり方が分かりませんでした。日本の就職活動を理解して準備をしっかりやろうと思い、業界分析と自己分析で半年をかけました。そこで見出したのは、人と関わることが多い人事か、PRの職種につきたいということでした。

――就職活動は順調にいきましたか

本格的な就職活動をしたのは3ヶ月くらいでした。138社にエントリーしましたが、半数は書類で落とされてしまい、「どうして」って不安になっちゃいました。大学院のときに得た自信もなくなりかなり落ち込みました。

面接に行ったら差別を受けたこともあります。面接官には自己紹介すらろくに聞いてもらえず、帰りにエレベーターに乗って最後の挨拶をしようと振り返ったら、見送りの人がいつの間にかいなくなっていました。他の人には最後までお見送りしていたのに!

――それはひどいですね…。会社を選ぶ基準はどのようなものでしたか

業界で限定せずに、それぞれ受けた会社には自分なりの軸がありました。会社を選ぶ基準として考えていた点は3つです。一つ目が人を大切にする会社、二つ目は中華系ではない日本の会社、そして3つ目は大好きな港区で仕事がしたいということでした。建築のアルバイトも日本語学校も六本木にあって港区が好きだというのと、仕事をしながら博士号も取得したかったので、通学しやすい港区が良かったんです。

――就職活動を終えてからのことを教えてください

最終的に8社から内定をもらうことができました。その中に第一志望の会社もありました。

すぐに第一志望の会社の内定を3月にいただき、9月に大学院を修了して10月に入社する予定でした。

ところがそのとき、以前応募していたシリコンバレーでの語学留学プログラムに通過し、参加できることになったという連絡を受けたんです。入社を先延ばしにして会社に迷惑をかけるわけにはいかないけど、自分の可能性も広げたい。迷いました。

そこで社長に直接相談することにしました。すると社長は意外にも「行きたいんでしょ。行ってみたら?」と快諾してくださり、感謝の気持ちで溢れました。その時、自分の心に決めました。アメリカでどんなに良いチャンスがあったとしても、これだけ私のことを信じてくれている人を絶対に裏切ってはいけない。半年後に戻るという約束を必ず守って、ちゃんとこの会社で就職しようと。

なので、トータルで13ヵ月入社日を延期してもらえることになり、もう一つの夢だったアメリカでの語学留学プログラムにも参加することができました。チャンスをいただいたと思い英語を猛勉強しました。(笑)

帰国後には無事に入社させていただき、社長の理解もあって今では、仕事をしながら平日の夜と週末に大学院博士課程に通っています。社長に物凄く感謝しているので、今まで作ってきた自分の人脈を使っても良いと思います。今は精一杯頑張って社長に恩返したいです。

――とても意欲的ですね。現在の仕事内容を教えていただけますか

今働いているのは投資用不動産会社で、会社のPRと外国人採用を担当しています。今度、中国人富裕層向けに営業チームを作ることになり、優秀な人材も募集中です。(笑)

日本の女性がもっと輝くステージをつくりたい

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――それは凄い。ではズバリ、今後の目標は何ですか

今はまず、お世話になっている社長に恩返しがしたいです。それから3年以内に家も購入して、30歳までは博士学位を取得し、35歳までには自分の会社を持ちたいです。35歳より先のことはそこまで考えていなくて、今は当面、こちらの目標に向かって頑張りたいですね。

――同世代の日本人に対して感じることは?

あえて年上の人と関わるようにしているので、正直、あまり同年代の知り合いがいないんですよ。それに、同年代の人の小説やゲームの話のついては、あまり興味がないです。逆に年上の方が実務経験も豊富だし、色々勉強になれると感じでますね。

それから、同世代の日本の女性と接していて、たまに可哀想だと思うことがあるんです。。。ほとんどの物事を人に合わせるじゃないですか。そういうのが私はあまり好きじゃないですね。もっと自分の考えや自分らしさを出して欲しいです。

服装も言動も皆と同じにして目立たないようにして、自分が良いと思うなら地味な服でも良いと思うんですけど、本当はそうじゃない場合もあるんでしょ、周りの環境に合わせてるだけって、私はすごくもったいないと思うんです。

――博士課程の研究で各国の女性について研究されているとのことですが

博士課程ではメンタル面も含めて、各国の女性の働き方の差異について研究しています。その中で、ある有名女子大の学生に将来の夢を聞いているのですが「専業主婦」という回答が多くて驚きました。良い旦那さんに出会うためだけに高い学歴を使うのはびっくりしました。

だから、そういう研究をした上で、日本の女性がもっと輝くための支援をしたく、働きやすい環境も作ってあげたいです。

仕事後、インタビューで目を輝かせて話してくれた彼女は、これからスキルアップのための学校に行くとのこと。つい、日本のゆとり世代として育った筆者は「そこそこ頑張ればいいんじゃないか」「良い評価が得られたならそれで満足」という考え方を無意識にしてしまいますが、 彼女の意思はとにかく強い。

関わる人たちを大切にし、自分自身を少しでも高めたいという強い意志を感じました。彼女には「私、女子だから~♪」といった甘えは一切ありません。彼女のような中国女性の逞しさが、中国経済の急成長を支えているのかもしれないと、ゆとり世代の日本人として考えさせられました。

 

 

ABOUT ME
山田 恵梨
山田 恵梨
1988年愛知県豊田市生まれ。10歳の時に中国の姉妹校に「学校代表」として訪中。それ以降、中国に強い関心を持ち、大学では中国史を専攻。自他ともに認める「中国人引き寄せの法則」の持ち主。口癖は「張芸興似の大富豪はいつ寄って来てくれるんだろう~?」
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