インタビュー

1年待っても出ないビザ。それでも日本で働きたい

1年待っても出ないビザ。それでも日本で働きたい

小さい頃から日本製の機械に憧れ、日本に技能実習生として行ったファン・トゥン(Phan Tung)さん。そこまでの道のりは平坦なものではなかった。煩雑な送り出し機関とのやり取り、勝手に偽造された経歴書……

様々な試練を乗り越え、現在は、高度人材としてのビザ(在留資格)取得に向け夜間大学に通う。

苦難に直面しつつも、「それでも日本で働きたい」と考えるトゥンさんに、日本を目指す理由について聞いた

憧れの国、日本

――最初の日本に対するイメージは?

ミニ四駆のイメージですね。

小さいころから好きだったんですが、ベトナムでは、偽物しかなくて。いつか日本製の本物が欲しいと思っていました。

――日本へ行こうと思ったきっかけは?

ロボット、車、バイクなどが大好きだったので、いつか日本でそれらの技術を学びたいと考えていたんです。ベトナムで機械関連の専門学校に在学中、学校に送り出し機関が説明に来て初めて、技能実習制度があることを知りました。

日本に行く方法としては、「留学」か「技能実習」の2択。

当時は、「高度人材のエンジニアとして日本に行ける」という選択肢は知りませんでした。もちろん、送り出し機関もそのようなことを教えてくれるわけもなく貯金もあまりなかったため、技能実習生として日本へ行くことにしました。

――日本に行く前、技能実習制度についてどれくらい知っていましたか?

ほとんど知らなかったです。

なので、インターネットで調べたり、日本で働いて帰国した先輩や、日本にいるベトナム人が参加しているフェイスブックグループで、日本のことについて質問したりしました。

でも、正直正しい情報はありませんでした。ベトナムのインターネットの情報は、嘘が多いです。ベトナムのウェブサイトの情報を、まずは日本のウェブサイトで確認し、そして、日本に住んでいる友達に確認し、情報の真偽を確認していました。(笑)

技能実習生の仕事は大変でした。給与が支払われなかったり、同僚が失踪したりといった悪い噂も事前に知っていました。ただ、それでも日本で働きたい、日本に行きたいという気持ちの方が強かったです。

――送り出し機関の面接時から雇用契約までの対応について教えてください。

面接時は、日本語が話せないため、送り出し機関スタッフの通訳が入ります。ただその通訳が、ベトナム語できちんと伝えてくれているかはわかりません。本当は給与について聞きたかったけど、初めての日本人との面接だし、給料を聞いたら面接に落ちる気がして聞けませんでした。

企業から内定をもらった時も、書面での契約はなく、全て口頭での説明でした。「給与は10万円以上」と説明があり、その通りには支払われました。

――仕事の希望は出せますか?

仕事の希望は出せません。

ただ、私の場合はエンジニアの専門学校を卒業していたので、エンジニアの仕事に就くことができました。しかし、他の人たちは「日本に行ければ場所も仕事も何でもいい」と思っている人が多かったです。

――送り出し機関に支払った費用はいくらでしたか?

送り出し機関には7,000USドル(約77万円)を支払いました。

もちろんそんな大金を自分で用意できるわけもなく、親戚たちが貸してくれました。

私は一人っ子なので、日本で働くことを母親はすごく寂しがりました。

私が日本に行く2003年は、ちょうどアジアを中心にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行っていたため家族には「空港への見送りは来なくていい」と伝えていました。しかし、父親は見送りに来てくれ、だまって送り出してくれました。

出発当時の所持金は1万2千円のみ。それでも不安は一切なく、楽しみな気持ちでした。

日本での生活

――初めての日本、最初の印象は?

ゴミがなくて、空気がきれい。ごちゃごちゃしていないので素晴らしい国だと思いました。

電車の自動運転には驚きました。

――日本でスタートした生活はどのようなものでしたか?

日本では、まず(技能実習の監理団体である)組合の寮に入り、20人と共同生活をしながら、日本語、文化習慣、ルールを1カ月かけて学びました。

――なれない日本生活。問題はありませんでしたか?

日本の食べ物に慣れず、最初の1カ月で一気に体重が落ちました。

特に、日本のお米がうまく炊けず、硬かったり、べちゃべちゃだったり。

お粥のようなご飯を食べるという質素な食生活が原因です。

母とは毎日スカイプで電話をしました。

痩せていく自分を見て、かなり心配したようでしたので、仕事の話や、作った料理の写真、旅行に行ったら旅行先の写真を送り、少しでも安心してもらえるようにしました。

日本に行く前の体重は130kgでしたが、帰国時には80kgに。日本に行き、50kgの減量に成功しました。(笑)

――日本食ダイエットですね。(笑)

仕事で出会った先輩を手本に、上達した日本語

1年待っても出ないビザ。それでも日本で働きたい日本では、誰もが知っているような大きな会社の工場で働くことになりました。主な仕事は、機械の清掃とメンテナンス、そして重い部品を運ぶ重労働でした。暑い工場の中での重労働。さすがに堪えました。

初日を終え、この仕事が3年も続くのかと思うと、先が長く感じました。ただ、私の部署には、ベトナム人の良い先輩や、日本人の優しい上司がいたので、どんな仕事でも頑張ろうと思いました。

ただ、そんな気合や根性論では続かないので、目標を立てることにしました。私が日本に来た目的は、お金の為ではなく、経験を積むこと。

お金を稼ぐという目的だったら、帰るときにはお金以外は何も残らない。私の友人がそうでした。一時的にお金は貯まりますが、特に日本語が上達した訳でも、技術的なスキルが身についた訳でもない。そのため、結局ベトナムに帰国してから仕事が見つからなかったようです。そして、あらためて日本に留学に行きました。結局、技能実習生で稼いだお金を全て使ってしまったようです。

というわけで、私の日本での目標は「日本語を上達させること」として、仕事や土日の使い方を考えるようになりました。

一番のお手本にしていたのが、同じ部署の先輩のトゥクさん。私より2年早く、技能実習生として来た方です。トゥクさんはとにかく日本語が上手で、技能実習生2年目で日本語能力試験(JLPT)の N2を取得。そして帰国直前にはなんと N1を取得しました。さすがに日本人と話すときのスピードが速く、文字の間違いもありません。

トゥクさんからは「日本語が下手でも話さないと永遠に上達しない。間違ってもいい。勉強したことはすぐ使え!」とよく言われました。私もトゥクさんのようになりたく、必死で日本語を勉強し、毎日アウトプットをするようになりました。

そして、日本人の良い上司にも恵まれました。神谷さんという方なのですが、お父さんみたいな人です。仕事が早くて、技術的なこと、安全性について、効率の良い操作の仕方など丁寧に教えてくれました。そして、重労働が多いので、忙しくても休憩時間をきちんと確保してくれたり、ベトナム人の実習生のために、いろいろ考えてくれました。

仕事終わりに、神谷さんの自宅 に招待してもらったり、一緒に飲みにいったり。仕事でもプライベートでも、よくないことは注意して教えてくれました。私は尊敬する上司の名字をもらって、神谷清松という日本名をつけることにしました。

私にとって神谷さんと日本語の先生は一番大事な人です。 神谷さん、先生のおかげで日本語が上手になりました。

日本で身に着けたスキル

――日本で3年働き、身についたことは何ですか?

技術面では、仕事内容は基本的には機械メンテナンスなので、ベトナムで学んだことをそのまま使っただけ。特に新しいことではありませんでした。

工具の使い方、クレーン車の運転、日本の溶接のやり方は新しく学びました。ベトナムでも溶接の勉強をしましたが、日本のやり方は全然違いました。日本の溶接は、とても安全に行われていました

――仕事が大変な中で頑張れた理由は?

そうですね…頑張るしかなかったです。

仕事を辞めたい、ベトナムに戻りたいと思ったところで、帰れる訳でも辞めれる訳でもないので、あまり考えないようにしていました。それより、この日本での経験をベトナムでどう活かすかを考えていました。

帰国後の仕事について

帰国後は、ベトナムの道路状況が危険すぎて、慣れるまでに時間がかかりました。(笑)

本当に危ない国だなと。

帰国1カ月後に仕事を探しましたが、その頃には日本語もN2相当まで上達していたので、日本の機械メンテナンス会社のベトナム支店立ち上げメンバーとしてすぐに採用されました。それまで3年間は日本人と一緒に仕事をしていたので、ベトナム人と仕事をするときはとてもイライラしました。

例えば、メンテナンスは順番にやるとか、チェックリストでチェックをしながら進めるなど。それが当たり前だと思っていたところ、ベトナムでは当たり前ではなかったと気づいて。工具も作業に合うものを使いたくて、自分でネットで探し購入したものを使いました。

――帰国後の送り出し機関の対応はいかがでしたか?

ベトナム帰国前に初めて契約内容を知ってびっくりしました。
紹介・手続き費用で7,000USドル(約77万円)を送り出し機関に支払いましたが、そのうちの4,000USドル(約44万円)は銀行に預けておく保証金だったようで、帰国後に戻りました。ベトナム国内での仕事も紹介してくれたし、結果的には結構よい送り出し機関だったと思います。

送り出し機関をみつけたときはいいか悪いか、なんてわからなかった。たまたま出会ったのが、その送り出し機関だったというだけなので。ベトナムには送り出し機関が多すぎるほどあるし、技能実習生に関しての知識もなかったので、比較するという考えも当時はなかったです。

技能実習生、特定技能について

1年待っても出ないビザ。それでも日本で働きたい

――日本で働くベトナム人の技能実習生に、伝えたいことはありますか?

よく日本人にベトナム人のイメージを聞くと、ほとんどみなさん悪いイメージを持っていますよね。日本では、ベトナム人技能実習生の悪いニュースが多いですし、仕方ないとは思うのですが、一人の悪い行動が、ベトナム全体のイメージに結びついてしまいます。日本人から「だからベトナム人は」と言われてしまうのは悲しいです。

このまま悪いイメージが定着してしまうと、日本はベトナム人を受け入れなくなってしまう。後輩たちが日本で働けなくなってしまうから、今日本にいるベトナム人には、日本のルールを守ってもらいたいです。

――特定技能という新しいビザができますが、また日本で働きたいですか?

また、日本で働けるのであれば働きたいです。しばらくして、妻も連れていけるようになるのであれば雇用形態にこだわりはありません。

私にとって、日本はとても住みやすい国で、日本の生活が合っていると思います。特に、悪いことといいことがはっきりしていて、ルールが徹底されている。ベトナムは、経済は成長していますが、政治が不安定だったり、ルールもあるようでないですから。

もし次に日本で働くなら、妻と一緒に行って安全な場所で暮らしたいです。

1年待っても出ないビザ

――特定技能ではなく、エンジニアとして日本に行くことは考えていないのですか?

実は、日本の会社から内定をもらったんですよ。

ただ、技能実習生時の送り出し機関の書類が偽造されていたことが後からわかったり、最終学歴が専門学校卒のため、専門知識が有るとは認められずに、1年も待ちましたが在留許可がおりませんでした。

内定をもらったので、てっきり日本で働けるものだと思っていたのですが、まさかこうなるとは思いませんでした。

やはり「大学卒業」でないと在留許可はおりづらいようなので、大学卒業の資格を得るため、現在、夜間コースに通っています。

――インタビューメモ――

「卒業後、日本へ行けるかわからないけど、自分の未来はどうなっているかわからない。だから今頑張るしかない。」

今後は大学に通うと話してくれたトゥンさん。印象に残っている日本語は「千里の道も一歩から」だそうです。「自分で勉強した。景気も自分の将来もどうなっているかわからない、だから努力するしかない。」と話すトゥンさん。ひたむきに努力し、逆境にも負けずに頑張るトゥンさんの今後を応援したいです。

※インタビュー記事に記載したUSドルの円換算については、1ドル=110円で算出

ABOUT ME
鈴木萌
鈴木萌
すずきもえ・ライター | 旅行と空芯菜炒めをこよなく愛す。ベトナム好きが高じて大学在学中にOne Terraceベトナムで1年間インターン。復学した現在も、ベトナムを中心に、日本と関わりながら働く外国人のリアルを取材しています。
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