ITエンジニアとして日本に行くはずだったHoang(ホアン)さんが技能実習生として日本を目指した理由。後輩の失踪など、Hoangさんが直面した技能実習生のリアルについて伺いました。
ITエンジニアからまさかの技能実習生で日本へ
――日本へ行くまでの経緯を教えてください
私はもともとベトナムの大学でITを専攻していて、卒業後はベトナムで1年ほどIT関係の仕事をしていました。でも当時の仕事は給料が安くて、どこか海外へ行ってみたいなと思ってインターネットで調べたところ、ITエンジニアとして日本で働く方法があることを知りました。地元の送り出し機関に申し込めば、ITエンジニアとして日本へ行けると説明を受けたので、会社を辞め、センターに入学して2、3ヵ月日本語を勉強しながら仕事を探していました。しかし数か月たったころ、日本の受け入れ企業から、突然キャンセルの連絡が来たんです。
「ITエンジニアとして日本へ行くことはできなくなった」と言われ、技能実習生として日本へ行くことを勧められました。
当時、技能実習生制度については何も知らなかったのですが、せっかく日本語を勉強したのに日本へ行かないのはもったいないじゃないですか。考えた結果、実習生として日本へ行くことを選びました。
自分と同じように大学を卒業してITエンジニアを目指していたクラスメイトも、仕事がないので仕方なく実習生を選ぶ人が多かったです。結局、それから半年後に、日本へ行くことになりました。
――技能実習生制度や、日本でどんな仕事をするか教えてもらいましたか
そうですね、あまり考えなかったし、教えてもらっていませんでした。ただ日本に行ければいいと思っていたので、送り出し機関に紹介されるままに会社の面接を受けました。
面接は友人と3人で受け、体力試験、社長・専務への自己紹介と少し質問を受けただけです。仕事内容は面接のときに教えてもらってないし、聞こうともしませんでした。その時は、給料しか見ていませんでしたね。
だから日本がどんな国なのか、どんな仕事をするのかということも全然気にしませんでした。
――送り出し機関へ支払う金額もかなり高額だと思うんですが
送り出し機関に対して、紹介料を支払うことも知らなかったので、最初は騙されたかと思いました。保証金が30万円、あとは飛行機代や書類手続き費用として40万円払いました。保証金は無事に3年間働いて帰国したら返金されるものです。費用は高いですが、皆同じように日本へ行くのでそれが普通だと思っていました。
怒られバカにされ、日本語上達を決意
――いざ、日本に来てからはどうでしたか
日本に入国後、すぐ組合の研修所に入り、日本の法律やマナーについて1カ月間の研修を受けました。ベトナムだけではなく、タイやフィリピンなど各地から来た実習生とともに、お互い覚えたばかりの簡単な日本語をつかって1か月間共同生活です。時間やルールについての規則がとても厳しく、研修期間中は携帯の使用はもちろん、インターネットの使用も一切禁止されていました。成績の良い人だけ、休みの日には携帯を使って家族や友人に連絡することを許されましたが、私も家族にはしばらく全然連絡できない状況でした。
――日本に来たとたん、大変な生活が待っていたんですね。
うん・・・刑務所ですよね。(笑)
早く終わりたいなあ、とずっと思っていました。
――研修が終わり、どんな仕事をしましたか。
実習先は外壁の工事を行う会社でした。今まで、屋内でITエンジニアをしていたのに、いきなり外で力仕事、けっこう大変でしたね。社員が20人と職人100人くらいで、私たちは技能実習生の第1期生でした。仕事では基本的に、日本人上司、ベトナム人の実習生リーダー、同期でチームになって、各地の現場を回るという感じです。天気が悪い時や、現場がない時は会社の工場で作業をしていました。
1年目は大変でしたが、2年目以降は慣れて仕事が早くできるようになったので、だいぶ楽になりました。2年目は日本語にも慣れてきていくつかの現場で責任者になって、3年目はベトナム人だけで現場を任されるようになっていました。
――日本語の壁はありましたか?
ありました。来日前に日本語を勉強したのは半年だけ。しかもベトナムで勉強した日本語と現場で使う日本語は全然違います。だから現場ではかなり怒られましたし、ときには「バカ」とか「ベトナムに帰れ」などと言われることもあり、自分自身プライドも精神的にもかなり傷つきました。そんな状態ですから、はじめのうちは同期も私もひたすら「母国に帰りたい」と思っていて、日本語を勉強するモチベーションもありませんでした。
でもある時、自分の日本語が上達しないかぎり、この状況はずっと変わらないなと思ったんです。そこから日本語の勉強を再開し、YouTubeを見たりしながら独学で勉強しました。
職場でも、あまり日本人に話しかけることはなかったんですが、日本語を勉強し始めてから今日は何を話そうかなとトピックを事前に考えて、単語やフレーズを調べて準備してから、移動中の車の中で話しかけてみるようになりました。それを繰り返していったら、日本語を勉強することが段々楽しくなっていったんです。
そうやって現場で同僚や大工さんたちとしゃべりながら日本語を覚え、彼らも僕が外国人だから面白がって話しかけてくれるようになり、仲良くなって休日に釣りに行ったり、楽しい思い出もできました。
――日本語が上達した後、仕事場で日本人の反応は変わりましたか
日本語が上達してくると、私はあまり怒られなくなりました。対して、現状維持の同期は相変わらず怒られる状況が続いていました。日本語が分かるようになるにつれて、相手が何を言っているかわかる、そしてそれに対してこちらも反論ができるので、リーダーとのもめごとも起こるようになりました。
最終的には日本にいる間に、日本語検定の2級を取得しました。私に対して厳しかったリーダーも、それを見て静かになりましたね。(笑)
――会社の待遇やサポート体制はどうでしたか
社内では、おもに日本人の専務とベトナム人リーダーに仕事のことを含め、日本の習慣、料理、文化について色々教えてもらいました。仕事の後は家に招かれて日本語を勉強したり、週末は会社の経費で、しゃぶしゃぶや、寿司など色々な食事に連れて行ってもらいました。
ただ、給料については全然上がりませんでした。1年目で月約16万円。家賃や保険を引いて手取りは約11万円。それにお盆や正月に少しボーナスが出るくらいです。1年目には実習生同士で相談してストライキをしたんですが、その場では昇給すると言われたのに結局3年間ほとんど変わりませんでした。
――関わった日本人のイメージはどうでしたか
みんな、いい人だと思います。
でも外国人からすると、よく怒る、細かいところを注意される、ミスについてしつこく責められるなど、少しうるさいと思う点もありました。それから日本人は仕事中は皆あまりしゃべらなくて静かですよね、そこは寂しいなと感じることがありました。
――日本で一番思い出に残っていることは
専務との出会いですね。
他の上司はすぐに怒ったりする中で、専務はいつも優しく教えてくれて、一緒に仕事をしていると自然に笑顔になる存在でした。私とは年も離れていたけれど、話をしているときは上司・部下の関係ではなくて、兄弟のような感覚で、ほんとに面白くていい人でした。
2年目には、次期実習生募集のために、専務とともにベトナムへ行き、私の実家に来てくれて両親と食事をしたこともありました。はじめは長いと思っていた3年も、帰国時になってみるともう帰るのかと寂しい気持ちでした。
見送りに来てくれた専務が、私のことを「子どもみたいに思っているから」と言って泣いて惜しんでくれたのが印象的でした。日本へ行って良かったかと問われれば、良かったと思います。それはやはり専務に会えたから。専務の存在は大きかったですね。
送り出し機関の負の構造
――帰国後について教えてください。
友人の紹介で、実習生の送り出し機関で日本企業向けの営業を担当しています。
――送り出し機関についてどう思っていますか
送り出し機関のシステムは私の頃と比べると、法律も変わって取り締まりも厳しくなりました。しかし、渡航前に仕事内容を知らされず、あまりに高額な紹介料を徴収するなど、私含め、多くの実習生は日本に行ってから、送り出し機関に騙されたと感じる人が多いです。
私は業務上、技能実習生とは直接関わらないですが、送り出し機関の実習生募集を担当する職員の仕組みは良くないと思います。募集職員の給料はとても高く、それで実習生から高額な料金をとっているんです。
送り出し機関の職員の多くは技能実習生の経験があり、そのほとんどが送り出し機関に騙されたと思っているのに、高額な給料につられて自身が送り出し側にまわるという現状があります。
帰国した同期や後輩の中にも、送り出し機関で募集職についている人がいます。彼もはじめはその仕事をしたくないと言っていたのですが、実習期間中に日本語があまり上達しなかった人ほど帰国後の働き口がないために、ベトナム人を相手にした新たな実習生募集の仕事に就くことになるわけです。
いやーちょっとね、僕だったら無理です。今の仕事ですら辞めたいですから。(笑)今の仕事は好きじゃないので、また日本に戻りたいと思っています。
――これから日本へ行く人へのアドバイスはありますか
技能実習生として日本へいくなら、事前に仕事内容などをきちんと調べなければなりません。技能実習に応募する際は、まず送り出し機関の職員から実習先の会社を紹介されたり、仕事について説明を受けた上で面接を受ける会社を選び、受かればその会社でそのまま内定、紹介料を入金するという流れです。
面接合格後に他の会社を受けて比較するということは、基本的にできません。しかしそこで、仕事についての情報が送り出し機関から正確に共有されない場合があります。例えば、実習先での業務がとび職であるのに、説明時には建設総合職として伝えられ、紹介料入金後にやっと仕事の詳細を説明されます。その時点で労働条件が違っていても、もう返金されません。
このように、内定辞退を防ぐためにきちんと仕事内容を教えてもらえないというケースもあるのです。候補者としても大金を支払っているので日本へ行かないわけにはいかないですよね。
――面接前に、会社のことについて自分で調べないんですか
自力で調べようにも、面接を受けるときは皆まだ日本語もあまり分からないため、結局は送り出し機関から得る情報が全てということになります。自分で情報の信憑性を確かめる手段もないわけです。このことについては今後送り出し機関を利用する人は十分に注意を払う必要があります。
失踪するかは支えてくれる人がいるかどうか
――会社から失踪された方もいらっしゃったということですが
はい。実は、私が働いていた会社で3人のうち2人が失踪しました。はじめに失踪したのは、2年間一緒に働いていた後輩のAさんでした。私たちが帰国してから最年長になり、今まで私たちが受けていたリーダーからの圧力をもろに受け、我慢の限界に達してしまったようです。
Aさんは日本語がよくできたので、リーダーからの説教を一身に受けてしまい、何度も逃げようかと同期と相談し合っていたみたいです。それで遂に我慢できなくなって失踪してしまい、その1週間後Bさんもあとを追って逃げ、1人だけが残りました。
はじめに逃げたAさんは、日本語が出来る故にたくさん怒られ、たくさんの仕事を振られ、どんどんストレスを溜めていました。対して残ったのは日本語があまり分からず、怒られていることや何を言われているのかあまりわからない1人。日本語が分からないと、それはそれで日本人からも仕事をあまり振られないですから。私は、帰国後にその事件について連絡を受けたんですが、すでに彼らとは連絡が取れなくなっていました。失踪から3カ月後に彼らと連絡が取れた際にはまだ日本にいて、偽造ビザで派遣の仕事をしているとのことでした。
――Hoangさんも同じような辛い経験をされていたんですか
そうですね、もちろん僕も辛い状況はありましたが、そんな時はいつも専務に話を聞いてもらい励まされていました。私も専務がいなければ逃げ出していたかもしれません。
私は今、営業として実習生の受け入れ企業側と関わっていますが、良い企業がほとんどです。ただそこで気付いたのは、面接を行うのは社長やトップの人ですが、実習生が実際一緒に働くのは別の人だということです。
会社には良い人も悪い人もいますが、その中で社内に自分を分かってくれる人がいるかどうかというのは大きい問題です。実習生は選択肢がないので、運に任せるしかないのですが。
あと、日本に来てもうどうしようもないというとき、状況によっては仕事を変えられる場合もあります。知り合いの実習生は、日本人の社員ともめ事になって、組合と相談して転職したというケースもあるようです。
ただ、ここでも問題はあります。
本来、日本側で実習生の教育やサポートを行うのが組合ですが、組合にとっては企業がお客さんですから、必ずしも実習生の味方についてくれるわけではないという構造があります。企業側に文句をつけたり、実習生に問題があると組合の存続に関わるわけですから。
――2019年4月より新しい在留資格「特定技能」が新設されました
技能実習生から労働者として資格が変わります。でも実際、仕事内容はかわらないでしょうね。技能実習生の目的は日本で学んだ技術を自国に持ち帰ることですが、日本で学んだことはベトナムでは使えない。使える例もあるかもしれませんが、私は聞いたことがありません。
――Hoangさんの今後は
日本でもう一度働きたいです。
せっかく習得した日本語も使わないと衰えてしまいますし、もともとの専攻であるITの分野で日本で働く方法を探しています。でもIT業界は進歩が速く、私の勉強していた頃とは技術も大きく変わっているので、今は独学で学びなおしています。
*取材メモ
今回の取材で、実習生ビジネスを取り巻く組織の構造的な問題を感じました。
最終的には日本へ行ってよかったと話してくれたHoangさんですが、失踪の問題は決して他人事ではありません。この度特定技能の受け入れが始まりましたが、この構造が変わらない限り技能実習生制度の根本的な問題は解決しないのではないでしょうか。
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